2011年01月19日
ろっころばし
昨日、昼の仕事で久留米の大善寺へ行ったんだけど
千代田?城島?の橋♪
六五郎橋(ロクゴロウはし)が修復作業で一報通行でした♪
確かに僕と一緒で
ずいぶん痛んでいた感じだったもんな~♪(^^ゞ

みんなろっころばしって言ってるんだよね♪
しかし、、、なんで六五郎橋って名前なんだろう??
千代田?城島?の橋♪
六五郎橋(ロクゴロウはし)が修復作業で一報通行でした♪
確かに僕と一緒で
ずいぶん痛んでいた感じだったもんな~♪(^^ゞ
みんなろっころばしって言ってるんだよね♪
しかし、、、なんで六五郎橋って名前なんだろう??
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すぐ右折
給水漕をちょっと越えて
左手に降りるとこを降りる
そうすると
ログハウスの洋食屋さん木こり…よ(*´∀')b
この橋越えて
良く行きます(*^艸^)
そうなんですね~♪たまにブログ拝見しています♪今度行ってみよう♪
ちなみに初コメントになります^0^
天正13年(1585)といいますから今から約420年ばかり前の話です。この地方を治めていた西牟田家周(にしむたいえちか)が大友宗麟の攻撃にそなえて急いで川側に城を築くことになったが、大雨で工事がはかどらず困っていた。水辺に祭る水神様にお願いすると、神主の話では「人柱をたてよ」とのこと。それで人柱を立てることとなり、築城を命じられていた庄屋の楢橋六左衛門が人柱になり、捨て子であったが庄屋に育てられた吾平が後を追い命を捨てた。そうすると大雨が嘘のように止み城の建設は進み、奇跡的に大友勢が攻めてくる前に城は完成したのでした。その後に大友宗麟の攻撃があったが城島城は落ちなかったそうです。
楢橋六左衛門と吾平さんのおかげで城も村も助かったと村人は祠を造り丁寧に祀りました。そして2人の遺徳を後世に伝えるために、昭和になってできた橋に「六五朗」の名前を付けたそうです。
まじめすぎるコメントでごめんなさ~い!!
ジョージさんお仕事がんばってください^。^
次回来店した時に誰なのか報告します^~^!!
コメントありがとうございます!!
すっごくためになりました!僕はてっきり橋を造った人の名前かな?くらいしか思ってなかったんですが、こんな深い関わりがあったとは!!これは大事に覚えておかなければいけませんね☆☆ありがとうござました♪